情報を発信する責任
インターネットで情報を公開するということには「責任」が伴います。「何でも掲載すればいい」というものではなく、いくら人が「見たい」と思っていても、そこには最低限の「モラル」が必要になるのです。「モラル」は社会的通念で「常識」として捉えられていたり、「法律」として定められているものの総称です。
誰か特定の個人をバッシングしたり、個人情報を公開したりすることはもちろん、確証のないような情報を流布したり、人の興味をそそるために「デマ」を流布したりすることはモラルに反します。人は情報を求めて行動することもあれば、その情報を受けて行動を起こすこともあるのです。「人」が動く、「人」を動かすということはものすごい「力」です。ただ一人の人が行動したとしてもなんでもないようなことかもしれませんが、それが大規模に膨れ上がるとやがて「社会現象」にまで発展し、社会という共同体に影響を及ぼすようになるのです。「情報」にはそのような現象を引き起こす「力」があります。
だからこそ、情報を「発信」する側には常に「責任」があります。「信じる人が悪い」というのは詭弁です。アクセスを稼ぐために嘘の情報を流して、それによって人を困らせたりすることはWebマスター失格ともいえる悪行です。そのような「誠意」は、サイトを運営していく中でユーザーにも伝わるものです。そのサイトに信頼性があるのかどうか、その情報に信頼性があるのかどうかということです。同じニュースでも、センーショナルなものであれば複数のサイトで掲載されるものです。ひとつの速報が他のサイトの情報収集を促進し、その事象は瞬く間にインターネットを席巻します。その中で、最初の速報が真実であるかどうかはすぐに判明するのです。ですから「デマ」は瞬時にしてバレます。
一旦「いい加減なサイトである」というレッテルを貼られてしまうと、なかなかリカバリーはできません。アクセスを稼ぎたいが故についた「嘘」が、瞬時にしてサイトの質を落とすのです。そのようなことになってしまってはサイトの価値はなくなり、運営する意味もなくなります。
「情報」とは、十分に吟味して配信するものです。人が驚くようなことを配信したい、珍しい情報を配信したいというのは誰でも考えることです。ですが、それは常に真実に基づいたものでなければいきません。それが誠実なサイト運営ですし、ユーザーに対する責任でもあります。責任を果たせないWebマスターには、Webサイトを運営する資格はありません。インターネットをより良くするために、より役立つ情報をより多くの人に伝えるために、すべてのWebマスターは規模は違えど同じ「責任」を背負っています。その情報を受けて「動く」人がいる限り、その情報には常に「信頼性」と「誠意」が必要です。人の社会が便利なものになるためには、「情報」が大切なのです。
憶測であれば、「憶測である」という注意書きが必要ですし、裏を取っていればその「ソース」を開示することで、その情報の信頼性を一気に引き上げることができます。そのような少しの配慮が、ひとつひとつの情報の「質」を引き上げ、その結果Webサイトの価値を引き上げることになるのです。